2013年11月16日

引き篭もらせ屋開業。初日から受注…という夢をみたんだ。

そうそう、IBSがひどくなったのが中学三年生の時分であり、
親の離婚騒動と重なっていた。
腸は脳ほどに考えるとも言われる器官。
ほんとうにその時の思考に左右される。
あの時はお米を一口食べただけでも
おならがプップ、プップするのでメタンガス量産機械に
なった気分を思い出した。いまではうんこ量産機だけどね(笑)。
あと、元々が腸が弱い子供だったのでここまでひどくなったのかも
しれない。子供の頃から腹痛・下痢おならばっかりしてたからかな。
さらにご飯もない、ご飯を用意してくれても親の好き嫌いが如実に反映
されている食卓なので子供に必要な栄養素や量が満足に摂取できない
家庭環境だったのも起因なのだろう。しかし、生き残ったサバイバーなので
水にながしてやることにしてやる。トイレに世話になっただけに。

ガリクソンーきてくれーーー。

いいかお前たちは「生き残ったんじゃない」
「大人になるまでに死ねなかった子供なだけだーーーーーーーーー」

にょわーーーーーー
posted by ひきひき at 20:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人法OPN説明会へヨーソロー

hitogososhi_no_kazoku.jpg

自分は貧乏のなかでも恵まれているほうかと思っていたが
なかなかのもんだったでござる。

貧乏があつまる掲示板で貧乏あるあるを見て自分を慰めるという
卑屈な行為をしていた。誰も彼もが不幸とはいえないが不遇な
環境にひりだされたと思うと胸が苦しくなる。
しかし、わずかな救いのある人もいた。
いや、結構な割合でなにか明るい光が灯っていて
ほんの少しだけ救いがある人がいる。
ほんとうに何もなく真っ黒な只中を砂を噛むおもいで
生き抜いてきた人ばかりではないと思い至る。

■希望・救いのあった貧乏人もいる
学校でいじめを受けていても家庭環境が良い。
教師が相談に乗ってくれた。
貧乏でも近隣住民との関係が良好で食べ物には困らなかったなど。
貧乏でも食べ物がある家庭であれば子は健康状態を維持できるし
逆だと不健康になり、通院代もかかりジリ貧になる。
なにか希望があれば人は大丈夫なもんだ。
当ブログも呼んでくれている物好きな方の大多数は
不遇な身に落ちている方だと思う。

私は当ブログで家庭の事情は小出しにしてきたが、
そのせいで全体像をつかめず、
どのような家庭環境・身の回りの人に影響されてここまでひねくれたのだろう
と疑問に感じている物好きな方もこの世に存在していると期待して、
今後、親の身分になったときの参考になればいいなと思いながら簡単に記載します。

■けれども金の輝きなく救いのない暗闇を歩かされる者が多い
父は古典的な暴飲暴食アルコール依存のギャンブル狂い。
母はもの後ごろついた頃から新興宗教にはまっていた。

幼少時
食べるものがないので塩を少ない海苔にまぶしてしゃぶる日々。
何もないときは手をなめると塩味がしたので毎日していた記憶がある。
それ汗じゃん!との突っ込みを時空を超えて自分にしてやる。

少年時代
基本的に病弱。
家が日当たりの悪くカビ臭いアパートだったので
すぐに鼻炎になる。学校ではいつも鼻水をたらしていた。
喘息にならずに済んだのはとても幸運だったと気づくのは
高校生になってからのこと。

少年時代の家庭環境
父の気まぐれな暴力の対象となる。父はパチンコ狂い。
母は父に金をせがまれると渡すのに不幸のヒロインぶっていた。
何かあると奇声を発する。子供がやりがちな些細な間違いでも
これでもかというほど怒鳴り散らしてあたってきた。八つ当たりだと
この頃から実感。姉は気が狂ったようにわめき散らし母に
「こいつを相手にすると疲れる」との印象を与え、戦略的勝利を収める。
父は姉をかわいがっていたので何かあると矛先は私に。
虚弱であり、さらに貧乏で不摂生なうえに未成熟な体では
洗濯・米とぎ・茶碗洗い・玄関掃除などが大仕事だった。
成人となったいまでは面倒なだけの雑務だが体の大きさの
違いでここまでの差があるのかと実感する。
いじめも受けていたが教師は全力で見てみぬふり。
家に帰っても額に手を当てて「私は不幸な女なのよ」オーラを
発する母の逆鱗に触れないように息をひそめる。
自分から家事をしないとすぐ怒られた。
母は相手にしても無駄だと悟っているので姉には不干渉を貫く。
父が早く帰宅すると母と口論→父がイラついて私に八つ当たり→
被害を免れていた姉がなぜが発狂して母が苛立つ→なぜか私に八つ当たり。
とするお決まりパターンができあがる。
学校ではいじめ、家でも心が休まらないので9時すぎても付近の川・海で
時間をつぶす。運が悪いと近所にすむ暴力団の子分(見回り)が顔に
容赦なくライトを当ててくるので最悪だった。
ゲームの話題にもついていけないのであからさまに仲間はずれにされる。
面白いのは当時、ゲームに熱中していて私をのけ者にしようと動いていた
当人が高校時代になって「高校生にもなってゲームするのかよ」と
言い放ったこと。大体このような物言いをするやつは散々遊びまくった奴なのだ。
けれど一番いやだったことは近隣の悪ガキや粋がっている一般男性の
標的にされることだった。
見るからにイラついてる他人にいきなり暴言を吐かれたり、
集団で調子に乗っている高学年の生徒に「おいコラッガキッ!」なんて
因縁をつけられるのが日常と化していた。
彼女をつれて粋がっている一般男性にも叩かれたこともある。
雌のまえでは自分の力を誇示したいのが雄だと理解ができなかったので
キョトンとしていた覚えがある。

大人しそうで見るからに貧弱。お下がりの丈があっていない貧相な服
からみえるガリガリの体。
それでいて、食べ物もろくに食えずに足元がふらついている人間がいれば
鬱憤晴らしや自分を強者に見せるための生贄役にはうってつけだろう。
何度も非がない仕打ちを善良な一般市民から受けた。
普通の一般人こそが誰よりも卑怯であり狡猾なのだ。

車での心中事件が起きたり、タバコの購入やパチンコの換金に走りにだされ
たのもこの頃。いまでは小学生がタバコを購入するのは難しいだろう。
パチンコの換金なんてもってのほかだ。


中学高校時代
中学生になってからもいじめを受ける。
小学生時代とはちがい大げさにはならないが苦痛であった。
中学生というのは家庭環境によって体格差が如実に現れる時期である。
それに体が大人に近づき、交友関係・移動範囲も広まる。
体力が有り余っているガキにとっては一番に体を動かしたい時期だ。
その矛先が向かうのは自分より体力・体格に劣っている者。
そんなわけでここでもいじめを受ける。
同じ生徒身分から受けるいじめは小学生の時よりはマシだった。
だが、教師から受けるささいなちょっかいの方が後々までひきずるほどに
強烈である。なぜならクラス内をまとめるための犠牲者「叩かれ役」に
されてしまったからである。何かあると私に注意し、事件が発生すると
必ず私が真っ先に疑われるという身分。私の貧乏をネタしたのがS山という
40代後半の教師である。典型的な左翼教師でことあるごとに日本は悪いと
言っていた。その日本さまに雇われてのに。自分の雇用主を罵倒しても
身分が安泰な職業とは不思議だと私が疑問に思うのは十数年先。
母のバイトの手伝いもしたが欲しいものは買ってもらえず。
母は仏壇に向かって一日中ありがたいお言葉(呪文)を唱えていた。
毎日かかさずに唱えると幸せになるのだという。
効果が効いたのかようやく離婚を母が決める。
息子のために中学三年生、受験シーズンに離婚の相談・準備決定を
してくれた最高の母親だ。
当然、家の中は荒れたので近所の小学校に忍び込み中庭で勉強する。
基本的に勉強は外でするほかなかった。
中庭の照明が消えるのは大体が7時までなのだが、たまに
9時になっても消灯しない日があった。
宿直の教師か用務員が気を使ったのか単に作業が遅滞しただけなのか
判別がつかない。だが、照明代だって公費だ一人の人間の差配で
どうにかできるものなのだろうか。しかし、中庭で教科書を広げていると
学校の3・4階あたりから視線を感じることは多々あった。
誰かが哀れな貧乏人に善意を施したと考えたい。
宿直・用務員室は1階にしかないのだが。

高校生の時分
高校時代になってようやく父の暴力の嵐から身を守れる
体格になった。貧乏あるあるでは大体が中学時代になって
体の節々に肉がつき、腕力も父とやりあえ、父の支配から
開放されるという描写がされるが私はそうではなかった。
元々虚弱なうえに食うものがない貧乏家庭で育ったのでこの年になるまで
反抗・抵抗できる力を得ることがきなかったのだ。
また、バイトをはじめたがここで十年近く続く貧乏クジ運を発揮。
自分の直属の上司にあたる人間がことごとく問題のある人間だった。
この人の元では1ヶ月持った人はいない・鬼の〜とかそんな冠がつく
人間ばかり。バイト先でもなにかと叩かれ役になる。
新卒で入社し、高校生を率いることになる新人正社員が焦ってやりがちな
牽制も受けてしまった。つまり反抗してくる危険性が少ない誰かを
標的にしてきつく叱りつけ、俺は怖いんだぞと高校生(部下)に
舐められないようにする愚行であり愚考。一応は大企業だったので
その新人社員の体面を気遣いながらも私にもそれとなくフォローしてくれる
中間管理職の人がいたので大事にはならずに済む。
バブルの余韻もそう長く続かず、父の財布事情も厳しくなり、
母どころか私にも金をせびってくるようになったのもこの頃。
アルバイト中に息子の金を目当てに来たときは驚いた。
恐怖の対象であった大の大人が申し訳なさそうに頼み込んでくるのだから。
ちなみに離婚をしていて縁を建前上切っているので父は元父となり、
他人となっている。だが、当時の馬鹿な私は母から頼まれてお金を貸す。
百万円は貸したが当人から返してもらっていない。
私が引き篭もりになって2年たっていきなり家賃分として消費したから
もうないと告げられる。働かないなら家事をしろと言われ、にわか主夫に
なって給仕にもなったのになんじゃそりゃと思うが強くでれないので
この件はうやむやになった。なぜ他人である元父の借金を母が肩代わりするの
のか理解ができない。以前、似たようなケースを掲示板で見かけたが
母に対する同情がほとんどであった。世間ではひどい男にほれる女ばかりが
憐憫の情を与えられるが当人の子供であり、一番の被害者足りえる者は
認識しにくいようだ。

いろいろ端折りましたが私は世間一般よりは貧乏で渡世してきました。
・貧乏な生活を強いられたけれど実は大学費用を貯めていてくれていた。
・一見、貧乏だが部活もできたしバイトをしないですむ程度だった。
・貧乏だったけれども親族が裕福で着るもの食べ物には事欠かなかった。
・貧乏だったけど近隣付き合いが良好で食べ物には恵まれていた。
・貧乏で食べものもなかったけれど夫婦関係は良好で家は心休まるところだった。
・貧乏だけど教育に理解ある親で勉強を教えてくれて環境も整えてくれた。
などなど、貧乏でもマシなほうじゃん!いや、貧乏じゃないじゃないか!
となる点はないと思います。亜fjkl;fjkl;fjkl;fjkl;ffjkl;fjkl;fjkl;fjkl;fjkl;fjkl;fjkl;fjkl;fjkl;fjkぼくのぽにょがそうす消しちゃうよ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
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posted by ひきひき at 20:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月16日

血・便器・日常

高校時代のIBSな出来事。
昼食の時間。
弁当を開け、冷えたお米をひとくち食べた後。
腹がゴロゴロとなり、ケツ穴から気が抜ける。
ひとけのないトイレに行き踏ん張ってみるが何もでない。
たしかに「でかいものを排出した」気分だったのに。
意味が分からない状態でふりむくと血。
便器の白に紅が映えて綺麗だな。
満足に飯が食えなくてもサラサラなんだな、なんて不毛な
思いに馳せていた記憶。

人気のない便所通いが粋がりたいお年頃の他人同然の後輩に知られ
「男女」の表示が入れ替わっていたりもした。
通いなれているのに間違うわけがない。

また、狭い校舎内で人気のないトイレを探していた頃。
いい具合に寂れたトイレを最上階に発見したが、
昼食の時間となると女子ブラスバンド部のたまり場付近だったので
くやしい思いをした。部室の近くだからという理由で選んだのだろう。
部室が開放されるのは放課後だけなしみったれた学校だったので
こんな事も起きる。
つか、トイレのまん前で飯食うなよ。
posted by ひきひき at 09:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする